由緒

建久年間(1190~1199)鎌倉時代 摂津源氏 源頼政の孫で、大河内氏初代である源顕綱の創建と伝わる。

「和名妙」に、この地は大川郷と称し、幡豆郡八郷の一つの開拓地で古くは大川神社と称した。

祭神は応神天皇(譽田別尊)、寛永九年(1632年)に東照宮(東照大権現・徳川家康)を合祀。

拝殿は高覧付廻り縁のある切妻の妻入りの縦拝殿で向拝が設けられている、尾張造りではなく、大社造りに近い。

本殿は流造りである。

 

五代の孫 源教剛は暦応二年五月(1339)鏡面に武運長久を刻んで奉献。(西尾市指定文化財)

源定綱が刀剣を献進。

大河内顕綱の信仰深く、寺津城主 大河内家の鎮守として十代 大河内信政により寺津城を築き寺津八幡社を再興、

永年十年(1513)の棟札に「願主大河内大蔵小輔源朝臣信綱」とあります。

十一代 大河内信貞も天文三年(1532)に寺津八幡社を再興し、大河内氏が勢いを振るい、寺津を領地とした関係で『大河内氏発跡地』の碑が建てられた。

"知恵伊豆"と称された江戸幕府 老中松平信綱の本家筋にあたるのが吉良家宿老としてこの地を納めていた

大河内氏である。

慶長三年申年(1680)十一月二十五日徳川家康本殿を再興し将軍家の守護神として仰ぐ。

徳川家光が慶安年間(1648~51)朱印三十五石七斗を寄進、

明治五年十月十二日村社に列し、同四十一年十月二十六日神饌幣帛料共進指定をうけ、大正五年九月一日郷社に昇格、同十年六月二日県社に列格する。


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